江東亀戸天祖神社 》
<天祖神社(旧称 砂原神明宮)の御由来>
旧名称柳島・砂原神明宮(すなはらのしんめい様)古くは柳島総鎮守神明宮と称し、明治五年柳島村社に
列し天祖神社と改称されました。当時は、神仏分離令が明治政府より出され当社が伊勢神宮の御分霊であ
る故、天の御先祖の神を称える意味から全国統一の名称として【天祖神社】と呼ばれるようになりました。
神社明細帳によれば、全国に拾壱万壱千社の神宮神社が各地に鎮座され、第一位は八幡社関係で、約四
万社あり、第二位は稲荷神社系で約三万社。第三位に伊勢神宮系の【天祖神社・神明宮】約一万八千社と
載されています。念の為以下、天満宮系・諏訪系・香取鹿島・厳島弁天と続きます。
現在、神社本庁に所属する神社は約八万です。
<由来【社伝及び文献に依る】>
御創建は推古天皇の御代(西暦六百年前後)聖徳太子の作による神像をまつる、と記載されています。葛
西誌や新編武蔵風土記には、次のように記載されています。「応永十年・龍眼寺開山沙門良博再建」「武
蔵国葛飾郡柳島神明社 村の鎮守なり 龍眼寺持開山良博夢の告有 聖徳太子の神像をまつる 能く疾病
を除く霊験あり 故に 疾病除神明と称す」「天文三年再修築あり」又 天正年間「疾病大流行の折り
織田信長使いを遠く参向させ 神前に流鏑馬を奉納する」とあります。この事が恒例となって現在、氏子
児童を選出して同日に流鏑馬を執行する。
上記に度々龍眼寺と有るは、神仏習合時代 現栗原橋際にある龍眼寺(萩寺)が別当職として守護した所
以である。
現社殿は、大正十年に企画され、関東大震災を経て昭和四年日本最初の防災建築にて竣工。特徴は内部
総檜造りで外部鉄筋コンクリートの俗に金庫造りと言われ当時は、神社界に前例が無い事から賞賛され、
その後、神田明神等日本中で同工法の神社建築が始まる。
氏子区域
『旧葛西領 柳島村全域(旧名称本所柳島・亀戸柳島新田)を含む』
氏子区域(現町名)
墨田区錦糸二・三丁目 太平二・三丁目 横川四・五丁目 業平五丁目 全域
墨田区横川二・三丁目 春日通り南側全域
墨田区太平四丁目及び業平四丁目南部は三分の二の区域
江東区亀戸一・三丁目地区は三分の一の地域
江東区亀戸二丁目地区は四分の三の地域
上記は天祖神社さんより頂いた資料「天祖神社御由緒略記」より転記
