江東亀戸天祖神社

<流鏑馬式>

 当社の流鏑馬式は、遠く織田信長が天正年間(今より四百年以上前)に全国の有名神社に流鏑馬式を奉納
し弓矢を献じたことに始まる。この風習は寛正の飢餓・そして疫病の大流行により、天皇や武士が神仏に
その加護を祈願した事由により国内に広まった。
 天正年間にはまたまた起きた疫病の大流行の祈りに、織田信長遠く使者を参向させ「天祖神社(当時の
砂原神明宮)に疫病退散祈願の流鏑馬式を奉納する」とあり、社伝に「祈願旬日にして霊験顕る」とあり
ます。後にその事が恒例となり現在に植受け継がれて来ました。
 古くは境内の馬場にて執行されましたが、明治の末頃より騎馬の流鏑馬式が諸般の事情により不可能と
なり、現在執行されている歩射(びしゃ)となりました。
 当社の流鏑馬式には「白弓」「黒弓」と言う伝統がありますが、次のような意味があります。
 「白弓は世の中が平穏の祈りは、むく榎の小枝の皮を剥ぎ、白弓とし献上せよ」
 「黒弓は世の中が不穏の祈りは、桑の小枝等を用いて皮を剥がず、黒弓とし献上の事」
 戦国時代の事由にて本当の理由はわかりませんが、平穏の祈りは身を守るときの為にゆっくり小枝の皮
を剥ぎ、弓作りをしたのではと存じております。また敵の危襲などの不穏の祈りは畑の中にある桑の小枝
に弦を急いで張り防戦したのではないかと解釈しております。
 昭和年代には、戦時に黒弓を二・三回献上した事例がありますが、二十年以降白弓しか使用しておりま
せん。又戦前・戦後一度も中止をせず伝統を護り今日に到ります。
 但し昭和二十年までは、長男に限り奉仕児童として選別されましたが、以降は伝統を少し変え五歳より
十二歳迄の男女の児童により奉仕出来るようになりました。
 又祈願目的も氏子繁栄・家内安全と奉仕児童の健康・成長徳育の祭事となりました。だた残念に思うこ
とは、現在の当社の流鏑馬は『歩射』にて行う現状を、昔のように騎馬武者にて執行する本来の神事とし
て復活させたい事です。

祭典執行日 毎年九月十六日(例大祭執行後)


上記は天祖神社さんより頂いた資料「『流鏑馬式』縁起について」より転記



平成22年流鏑馬式  東都よみうり 2010年10月8日号掲載


流鏑馬の写真(ドイツ生まれの氏子ブッセル氏のページ)



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