町名の今昔
「本所」が詳細に記されて
いる古い地図としては、「
分道本所大絵図」(宝永4
−1707)があるが明瞭
では無く、その後、文久3
年(1863)に刷られた
麹町六丁目尾張屋版本所絵
図」に成ると可成り詳しく
この絵図によると、当町会
は、春日通り(北割下水)
を挟んで以南(以下、南)
即ち、1〜12番地は、前
田丹後守の下屋敷と押上村
の一部として、又、以北(
以下、北)即ち、13〜2
0番地は、松平式部少輔、
及び、竹田豊後守の下屋敷
と旗本=吉川政太郎の屋敷
の各一部と成っていた。
(注)北割下水=割下水と
は道路の中央を流れる掘割
の意味で、この堀の両側に
道路があり、あたかも道巾
を二分した様な形から、俗
称されてきた。用途は、排
水のためであったが、関東
大震災の復興事業によって
地下排水路と成り、現在は
その跡を止めていない。
その後、明治に入り、北は
「押上町」、南は「柳島梅
森町」の各一部と成る。
(注)柳島梅森町=明治2
4年、元柳島村字森耕地の
内、元中ノ郷飛地字蒔山の
内、元小梅村飛地町屋の内
等を合せて現町となったが
町名の由来は不詳で、同町
形成分子の一たる小梅村の
「梅」に、元柳島年字森の
「森」を附して「梅森」と
称したのではないか〔(依
)本所の過去及び現在〕
昭和6年3月1日、区画整
理並びに町名変更が実施さ
れ、旧、押上町81〜91
番、柳島梅森町39〜42
、56〜71、82〜86
番地等を合せて「横川橋2
丁目」と改称された。
(注)横川=「横」は「竪
(立)」に対応する呼称で
隅田川に対して横に並行し
ているので呼ばれたもので
ある。現在は「大横川」と
呼ばれているが、これも現
在は、埋立てられて「親水
公園」として、親しまれて
いる。
第二次世界大戦後の昭和4
2年5月1日、住居表示に
関する法令により「横川橋
」より「横川」と呼称変更
され現在に及んでいる。
『横川二丁目町会名簿より
引用』