江戸火消 》
木遣り(きやり)について
『木遣りとは』
「木遣り」の発祥は、労働歌として生まれたものであったが、今日ではお目出度い席で歌われることが多く
なった。木遣りとは『広辞苑』によると、「重い材木などを、音頭をとりながら、掛声を掛けて送り運ぶこと
。木遣歌の略」と述べており、また木遣り歌とは、「木遣の時に歌う一種の俗謡。地突きまたは祭禮の山車を
引く時や祝儀などにも歌う。木遣節。木遣口説」と記されている。TBSブリタニカによると、木遣り歌とは
「建築用木材や御神木を綱で引くときに音頭をとり、掛声を掛けて歌われた労働民謡」と記されている。
『木遣りの起源』
木遣りとは、文字が示すとおり木をやる歌で、激しい仕事のための労働歌として生まれたといわれている。
木遣りは建物を建てる場合の、大黒柱や土台石となるような大木や大きな石などを動かすとき、張りのある掛
声で音頭をとり、働く者の気を一つに合わせ、一同の力を一遍に出せるために歌われる。木遣りの発祥の地は
、”木の国”紀州であるといわれているが、本来木をやる歌は、重い物を運ぶための、労働歌として生まれた
ものであるから、それぞれの目的に応じて全国に伝わっていった。
これらの中には「大物引き歌」「台持歌」などと呼ばれているところもあり、大木だけではなく、四国など
では船を浜に引き上げるときにも歌われる。また場所によっては、狩の獲物を運ぶとき(上信越地方)や綱起
こしの漁業歌(北海道)として歌われるなど、それぞれの土地、土地に応じて変化して伝わっていった。
さらにそれが土木建築業者、いわゆる鳶職人によって、建物を建てる前の土を固める地搗や土搗、あるいは
上棟式のときの歌などにも用いられるようになった。また、一説には木遣りの始まりは、建仁二年(1202)に、
京都の建仁寺の栄西上人が、加茂川から鐘を引上げる際、人夫にそれぞれ自分の名をいわせ、声を合わせたと
ころから起こったとか、天正十二年(1584)に豊臣秀吉は、大坂城築城に際して、山から伐り出した大木を運び
出す役に、「栄斎」「要斎」という二人の茶坊主を選び指揮をとらせた。この茶坊主なかなかの才覚があり、
気勢のあがらぬ人足に、自分たちの名前を代わるがわる呼ばせ、「エイサイ」「ヨウサイ」と、掛声を掛けさ
せながら木材を運ばせたところ、この掛声に人足の気合いがぴったりと合い、「エイサイ」「ヨウサイ」と一
気に大木を運んでしまったといわれている。
いずれにしても労働歌として生まれた木遣りは、その目的に応じて、仕事に従事する者の間で盛んに歌われ
、それぞれの土地の風土と混りあって、色々と変化しながらその土地に定着していった。木遣りは時代を経る
とともに洗練されて、次第に祝儀の際に歌われるようになり、全国的に広がっていくが、その切っ掛けとなっ
たのは「伊勢の木遣り」であるといわれている。伊勢神宮は、二十年ごとに社殿が造り替えられ、柱となる大
木の多くは木曽の山中から伐り出され、海路を経て伊勢に入り、川から陸地へと引き上げられ伊勢神宮へと運
ばれる。そのときに歌われたのが、伊勢の木遣りであった。この伊勢の木遣りに、三味線や太鼓などの鳴り物
が付けられて、「伊勢音頭」として歌われるようになり、それが全国から集まってくるお伊勢参りの人たちの
、郷土への土産となって、全国各地に伝承されていったといわれている。
『江戸鳶木遣』
徳川幕府によって開府された江戸の町は、新興の地であったことから土木建築に従事する鳶職人が多く、そ
れだけ仕事の歌としての労働歌(木遣り)が、数多く歌われるようになった。中でも江戸城の修改築などの際
には、祝儀の意味を込めた歌が、鳶の間で盛んに歌われるようになり、それが次第に洗練され、本来の労働歌
というより祝儀の歌として発展し、上棟式をはじめ祭禮、儀式あるいは各家庭での祝儀などで、その町内の頭
の音頭によって鳶職人たちが木遣りを歌うようになった。この木遣りを「江戸鳶木遣」と呼んでいる。
鳶職人たちは本来の土木建築の仕事のほかに、享保三年(1718)に組織された町火消の中心的存在ともなって
、木遣りを歌い続けていった。江戸鳶木遣りは、次第に鳶の歌として定着していき、歌の内容も多岐に亘り、
江戸庶民の文化を反映していることから、江戸文化の「粋」ともいわれ、粋でいなせな木遣りは江戸っ子の憧
れの的となった。江戸鳶木遣も初めは「力の木遣り」であったが、江戸文化が燗熟してくるとともに、鳶の中
には芸達者な者がいて、木遣りに俗謡を織り交ぜて、音頭歌として盛んに歌われるようになった。
木遣りは鳶が伝承の中心となり、建前、祭禮、婚礼、出初式などの儀式の歌として、いわば「聞かせるため
の木遣り」として歌われるようになった。木遣りを歌う場合は、音頭を出す木遣師と、受け声をする木遣師が
いる。また木遣師は、兄木遣と弟木遣に分かれ、交互に歌を出して歌い、さらに木遣りにお囃子をかぶせるこ
ともある。このような伝統ある木遣りは、今日では町火消の流れを汲む団体として創設された「社団法人江戸
消防記念会」の会員によって、纏や梯子乗りと共に受け継がれ歌われている。
「江戸鳶木遣」は江戸の庶民が残した貴重な文化財として、東京都の無形文化財に指定されている。また、
墨田区向島にある三囲(みめぐり)神社の境内には「木遣音頭碑」が建立されている。
※墨田区立緑図書館蔵「江戸消防創立五十周年記念」より引用
